風水とは?

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風水という名称の由来

「風水」という名称は、晋の郭璞の著作という『葬書』(成立は唐代か)に「気乗風則散 界水則止 古人聚之使不散 行之使有止 故謂之風水」 気は風に乗れば則ち散り、水に界せられば則ち止る。古人はこれを聚めて散らせしめず、これを行かせて止るを有らしむ。故にこれを風水と謂う と定義されている。

風水とは

風水(ふうすい)は、古代中国の思想で、都市、住居、建物、墓などの位置の吉凶禍福を決定するために用いられてきた、気の流れを物の位置で制御する思想。「堪輿(かんよ)」ともいう。

風水では都市や住居(すなわち生者の居住空間)を「陽宅(ようたく)」、墳墓(すなわち死者の居住空間)を「陰宅(いんたく)」と呼んで区別している。そのよろしきを得れば、死者は永く幸を受け、生者はその子孫繁栄するという。 古代からの相宅や相墓といった占いの技術が陰陽五行説に基づきつつ総合されて成立した。

風水は大別すると、「巒頭(らんとう)」と「理気(りき)」とに別れる。

巒頭は、その土地の気の勢いや質を地形等の形成を目で見える有形のもので判断する方法であり、形法、形勢派、巒体派などとも呼ばれる。

一方、理気は陰陽五行や八卦、易理(易)、方位など目に見えないもので判断する方法であり、理法、理気派、屋宅派などとも呼ばれる。 ちなみに、現代科学における風水は、地磁気と人との関係を追究している。
(wikipedia より引用)

まとめ

世の中にはいろいろなエネルギーが絶えず流れ続けています。
例えば、太陽の光が大地に降り注ぎ、植物や動物の生きていくエネルギーの源になっています。
もちろん人間にもそのエネルギーがあり、このエネルギーの事を「気」と言ったりします。
「気」と言うと人を倒したり跳ね返したりする硬気功(硬いレンガを額で割ったり、鉄の釘を喉で曲げてしまうアノ気功です)を連想しがちですが、風水で言う「気」はエネルギーそのものを言います。
その人間の「気」が滞りなく流れていれば元気ですが、滞ってしまうと体調を崩してしまう、という考えです。

このように世の中には「気」が流れていますが、上手く循環しているところと、そうでないところ(停滞しているところ)があります。 また、その気を二つにわけると、陽(プラス)のエネルギーと陰(マイナスのエネルギー)があります。 「風水」の「風」とは「気の通り道」を、「水」とは「気の集まるところ」の事を指しています。
つまり風水というのは「気の通り道を知しり、気の集まるところを知る」という事を意味しているのです。

このように、エネルギーの流れや停滞を調べ、マイナスならば避け、プラスならば大いに利用し開運しようと言うのが風水術なのです。

風水の歴史

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風水の始まり

風水はもともと中国古来の仙道五術の奥義です。 森羅万象の過去から未来に至るまでを判断し、運を切り開いていくのに風水羅盤を用いて、王や帝王とその国家の安泰の為に風水が使われていたようです。

はじめのうちは、国を守る為に主に軍策として風水は利用され、攻め入る軍はどこに陣をおけば効率が良いか、どこから攻めていけば良いか、どこに城を築けば攻められにくいかなどを地理・方位などから分析・判断していました。 国が安泰になると軍策だけでなく、風水のノウハウが繁栄する都・国作りに応用され、次第に仙道の奥義・風水の一端が庶民にまで拡がっていったと言われています。

日本での風水

日本では、「陰陽師」が風水の奥義を会得しました。 陰陽師は、中国から伝来した風水を踏まえ、暦を読み、国の祭事を司り、風水に基づいた都作りをしていました。 陰陽師は国の重要な地位を確立し発言そのものが国を左右していたのです。 平安京の碁盤の目のように整然としている都は、完璧に風水に基づいて作られているのは有名な話です。 ちなみに、日本の歴史に風水が登場しているのはかなり古く、邪馬台国の頃からと唱えている歴史学者もいるようですが、定説では平安時代の頃と考えられています。
江戸幕府が300年も続いたのは風水を取り入れていたからだと言われているそうです。